2018-01-01から1年間の記事一覧

髪についた水滴を払うということ

入園時とはうって変わって、出口のほうの、入口と同様に石室みたいな灰色の部屋はしんと静まりかえっていた。機能的な面では今いるここは入口でも出口でもあるからまあ僕たちの立場からすれば出口というだけのことなのだけれど、出口というのは結局のところ…

お楽しみいただけましたか?

そこは町ではなく、遊園地だった。遠目にいくつもの陸橋が交差しているように見えたのは、まぎれもなくひとつの巨大なアトラクションだった。稼働してはいないみたいだったけれど、もしかするとこれはこれで全体の何パーセントかは動いているのかもしれなか…

当園にお越しですか?

夕陽があたってこはく色に輝いている大きな川が丘の下に見えてきて、僕はそれがとても好きだったから、あれ? また記憶海岸があるの? もしかしてさっきのやつがやっぱり寂しくなってついてきちゃったのかなあ、などと思っていると、たくさんの人々や、大き…

[断片]

「僕の呼び名はいるか様ということになったけれど」僕はいった。「きみのことはまだきみのままだな」 「はい」五〇〇番はいった。 「それに、きみに話しかけるときはきみと呼んでいるけれど」僕はいった。「心の中で呼ぶとき、ようは三人称の代名詞のときに…

少年と猫

そんなわけで、僕と五〇〇番は記憶海岸に別れをつげてまた北へと歩き出した。聞いたところ記憶海岸というのは仮の呼び名で、工事がしまいまで完了してから正式な名前を決めるつもりだったらしい。いずれにせよ「タツノオトシゴ・プロジェクト」とか「大日本…

潮時

とにかく北へと歩いていくしかないのではないだろうかと結論づけたときにはほとんど昼みたいな感じになっていた。もしかりに、まだまだ朝だ、なんて言い張ったあかつきには朝のあらゆることのみに癇癪持ちの傾向があるだれかを、結果的に泣かせてしまうかも…

天気と株価と質問

ひとまず朝食を記憶海岸から用意してそれをなんとなく食べてしまうと、頭の中にあるもっとも現実に近い部分が空っぽになってふわふわしているのがわかった。朝は人を冷静にするし、昨日までのできごとを一度リセットしようとしてやっぱりリセットしないでお…

朝、それがわたしのもとに降ってきたなら

目に光が入ってきたと思って目を開けると、僕は泣いているのだった。光のせいか涙のせいかあるいはそれ以外の何かのせいなのかわからないけれど視界がうんとぼやけて前がよく見えないから、とりあえずの対処として片手か両手かで片目か両目かをぬぐうと、五…

奇妙な夢

百人くらいの人が入れそうな広場を、坊主頭が清めている、坊主頭は草や花の飾り物をのせた盆を携えやって来て、広場の中心に置き、そうであるべき姿にととのえる、何事かを唱える、去っていく、広場はもう、しかるべき舞台になっている、外面はただの空き地…

[断片]

逸る気持ちではないけれどそういった類いの何かに後押しされてひたすら歩きつづけていたので、夜になったらどうしようとか、食物はどうしようとか、そういった忘れてはいけないことを忘れてしまっていた。気づけばもう夜に浸かっていて、しつこい空腹に襲わ…

記憶海岸

「それ」は象牙のような形をしたかと思うと、次の瞬間には百合の花を象っていた。僕はその時驚くべきことに、象牙のことを考え、百合の花の印象を意識していたのだった。すでに日は落ちて、月明かりがきらきらと水面を揺らしていた。なかなか神秘的で魅力的…

天地開闢の瞬間よりつづきし正統的で記号的な

不意に、車は無事だろうかという気持ちが芽生えていた。屋根や囲いのないことはもとより、駐車のための場所でもないところに自分の車を置いてきたのは初めてだったから、すこし不安だった。ただ、買い換えたばかりの新車で大して思い出があったり思い入れが…

ペルシャンブルーのすばらしい景色

「そういや、きみはどうしてあんな辺鄙なところに取り残されているんだい」 ふと気がかりになって、右後方を無言でついてくる五〇〇番に訊いてみた。 「それがあなたの命令だからです、いるか様」 「命令? いるか様の?」 「はい。わたしはあの地点に留まり…

[断片]

「弟を探しているんだ」僕はいった。 五〇〇番はきまって僕の右側後方を歩いていた。 「いや、探しているというほど切羽つまった感じでもないな」僕はいった。 北へ向かう道だけがぞっとするほど先までつづいていた。 「僕は、弟に会いに向かっているんだ」…

AI棋士対パブロ・ピカソ

「つまり、きみの知っているいるか様が持つ特徴をそっくりそのまま模した容姿を僕がしていて、だから僕がいるか様である、ということかな?」 とりあえず簡潔に聞いた話を整理してみると、そういうことになっていた。 「そうであるといえます」五〇〇番はい…

間抜けな話

歩いても歩いても、なかなか五〇〇番のいう工事の現場には行き当たらなかった。これほどまで長い一本道なので、工事をするさいはひとつ手前の分かれ道のところを封鎖するという当たり前のことも、その理由とか必要性とかがそこなわれてしまってしまっている…

通行止め

「通行止めです」 信号と電柱と電線しかなかったのに、いつの間にかもう信号しかなくなってしまったところを車で走っていたのだった。信号は機能していなかった、電柱も電線もないし、したがって電気が通じていないのだから当然といえば当然だが、もしかする…

ダンボール詩人の死(地下の話)

『ダンボール詩人』はながながとおくびを吐き出してから、『バドワイザー』の三五〇ミリリットル缶のプルタブを軽快にあけて、そのままじかにごくごくと飲んだ。 『おれ』も『バドワイザー』三五〇ミリリットル缶をあけて、くすんだライトグリーンの角ばった…

見えない水(地下の話)

太陽の光線が僅かに揺れた気がした。それを見たとき、急にどこかへ帰りたくなった。そう『おれ』が言うと、それは気のせいだ、と『羊をめぐる冒険』は言った。 「だってそんなものこれまで見たことないよ。窓もないし、光が届くはずもない。残念だけれど」 …

ぼくの好きな音楽

何のために音楽を聴いてるの、と訊くと、「そりゃあおまえ、音楽が好きだからだよ」っていつもヘッドホンを首から提げてるかれは眉ひとつ動かさないで軽やかに言った。ぼくも音楽は好きだし、ただまあかれと好みが合ったことはまだ一度もないのだけれど、音…

きみといる世界

ある日、何かを好きでいるってことは、それそのものが好きだというわけではなくて、その何かがある、その何かを含んでいるこの世界が好きなのだと、ぼくはふと気づいた。 たとえばそうだな、ぼくは小説が好きなんだと思う。 いきなり、「好き」だと「思う」…

木の葉が揺れていた

その時、A校舎二階の隅に位置する講義室の窓辺の席から外を、露天の喫煙所にたち込める見えない紫煙を見下ろしていた時、煙の昇っていく方を追っていくと宙で真新しい緑の樹葉が風に揺れていた。水泳プールみたいだと思った。それは、よく日に照ってたゆた…

第十三話(終) さようなら、きくらげ

僕は歩いていた。そして、歩いている、と思った。地面の反撥が靴底につたわってきて、それだけで何だか気持ちが良かった。結局はそれだけで十分なのだ。 オランウータンはあれから無事にしているだろうか、勢いよく町並みに繰り出してしまってなかなか危険な…

第十二話 霧が晴れて登場するもの

涙ぐましい努力もむなしく『さかなクン』は途方に暮れていた。言葉? 魔法? 本質? わけがわからねえよ! 今日は途方に暮れてばっかだな、今日、今日はいつまでつづくんだ・・・・・・ それにしても暑い、霧の奥から太陽の光が、角度のある西日が皮膚を突き抜けて…

第十一話 長く静かなカーブを回る

懸命に両腕を振り地面を蹴って全力疾走していた『さかなクン』であったが、気持ちこころが落ち着いてきたように思ったので一旦そこに止まって後ろを振り返って見た。白く磨かれた石の地面から草いきれのような具合に霧が立ちのぼってきていて視界はよくはな…

第十話 いるかと「観察者」

『ブラザー複合機』は梢の網を透かして入り込んでくる太陽の光と落ち葉の匂いに包まれた小道を進みながら不器用に動揺していた。動揺というものを初めてそのボディに感じていたのかもしれなかった。というのも、それは案内をすることは性能上お手のものであ…

第九話 サウス・アメリカン・ゲッタウェイ

『さかなクン』は打ちひしがれた。プライスカードや陳列用フックや仕切版どころではなく、そもそもの基底の什器までもがきくらげが並んでいるはずの場所からごそっと丸々脱落しているのだ。『さかなクン』はその場にくずおれた。猛烈な諸感情がこの数時間だ…

第八話 イトーヨーカ堂のあたりを徘徊する小さな青い女児

『ブラザー複合機』は「もんのすごい音」がしたところで変わらず普段どおりのイトーヨーカ堂の出入口に見るに堪えない恰好で立っているように存在した。『ブラザー複合機』が道案内をした、イトーヨーカ堂に用があったとしか推察できないあの声の高い男は「…

第七話 相変わらず目は死んでいる

『さかなクン』は女販売員がスイングドアをくぐってバックルームに消えていくのを呆然と立ち尽くして見ていた。そして急に白けた気持ちになって、これはこれでわるくないかもな、とつま先でスレートか御影石か判別のつかない床のつなぎ目をいじりながら思っ…

第六話 そのすべてを始めた者たち

「もんのすごい音」とオランウータンというオランウータンではない魔法少女志願のオランウータンが言った。 僕は瀕死の状態にありつつ、けれどもそこで天才的にある異和感のようなものを感じとった。もんのすごい音、だって? それは違う。 それは違うのでは…