不意に、車は無事だろうかという気持ちが芽生えていた。屋根や囲いのないことはもとより、駐車のための場所でもないところに自分の車を置いてきたのは初めてだったから、すこし不安だった。ただ、買い換えたばかりの新車で大して思い出があったり思い入れがあったりというわけではなかったし、まだあの車には人格みたいなものが宿ってなかったから、あそこに置いてきたままでもいいのではないかと思った。もったいないなどということはすこしも頭をよぎらなかった。案外あの車は、ああいった殺伐とした荒野の風景のなかで居場所を見つけるには、置き去りにされるくらいがちょうどいいのかもしれない。
……などと恬淡ぶって泣きそうになりながら目を潤ませていると、視界の端で五〇〇番の気配が「良」から「稍重」に変わったので、なんだ雨が降ってきたのかやれやれそりゃあ目蓋も濡れるわ負けは込むわと納得しかけたが、じっさいは一粒も雨など降っておらずあいかわらず空気はからからで、なんと目の前に「工事」があった。
「工事です」五〇〇番はいった。
それはどうみても僕の知る「工事」の様相を呈していなかった。けれど五〇〇番は目の前のこれを「工事」だといった。でも、これは「工事」じゃない。
「これはなんだ」僕は訊いた。
「工事です」五〇〇番はいった。
道を遮っている「工事」を見た感じとしては、至極まっとうな形状をしているといえた。奇を衒っているとか、思わず顔をしかめたくなる有りさまとかでもなかった。それは、天地開闢の瞬間よりつづきし正統的で記号的な、ふつうの海岸の形状をしていた。形状、というか海岸のそれであった。
「これは工事なのか」僕は訊いた。
「工事です」五〇〇番はいった。
ということで、これは「工事」なのだった。
そうはいってみたものの、疑問点がさっぱり解消したわけでもなかった。あくまでふつうの海岸の様子なのだが、どうもふつうの海岸ではないようなのだ。ようするに、海岸なのに海岸っぽさがまるでないのだ。詳しく説明的な言葉を用いれば、その「工事」は縹渺としていた。……ここには、言葉の限界を突きつけられてしまった僕がいる。
こういうことは知っている者に問うのが一番手っ取り早い。そもそも、ここを通り抜けなければ先へ進めないのだ。障害をなす存在を攻略するのが先決である。
訊いた。
「これが工事だっていうなら、それはそれでいいや。でさ、こいつはいったい何の工事をしてるの?」
「記憶海岸です」
「なんてこった」
僕は大げさにひっくり返ってみせたが、五〇〇番の肌はお日柄も良く白磁めいていたし、すぐそこには夜がやってきていた。