ダンボール詩人の死(地下の話)


ダンボール詩人』はながながとおくびを吐き出してから、『バドワイザー』の三五〇ミリリットル缶のプルタブを軽快にあけて、そのままじかにごくごくと飲んだ。

『おれ』も『バドワイザー』三五〇ミリリットル缶をあけて、くすんだライトグリーンの角ばったグラスになみなみと注いでから、ごくごくと飲んだ。

 それだけでいいような感じがした。

 

    *

 

「おれがどのようにして『ダンボール詩人』になったのかは単純明快、おれが『ダンボール詩人』になったからだ」

「なるほど」と『おれ』は言った。

ダンボール詩人』は堅くにぎりしめていたからの缶の中味、つまり、からという中味をしげしげと覗き込んだ。わたしはいつの間にこれを飲み干してしまったのか、といつの間にか飲み干してしまった自分の過去をそこにうたぐるように。さんざん覗き回して結局何も見えないことがわかると、緩慢な動作で空き缶を床のうえに置いて立て、次の『バドワイザー』に手を伸ばした。

「きみ、『ダンボール詩人』になるためにはまず必要不可欠なこと、それはなんだと思うかね?」

「なるほど」と『おれ』は言った。

「まずはそう」と『ダンボール詩人』は即座に言い、泡があふれないよう慎重にプルタブをひねった。プショ、と軽い音がする。『ダンボール詩人』のまえの床にはすでに1ダースの空き缶が三列に四缶ずつ積みあげられている。いっぽう『おれ』のまえには、わずかに二缶(片ほうは側面がへこんでたおれている)があるばかりだ。

「まずはだな、『ダンボール詩人』になるためには、そのものが『ダンボール詩人』とみなから呼ばれねばならん。なぜなら、われわれが社会的な存在であり、そのことにはうたがいの余地はないからだ」

「なるほど」と『おれ』は言った。

『おれ』は半自動的に相づちをうっているのだ。それは半奇跡的でもあった。もはや奇跡を不用意に半分に分けてしまうほどには、眠気という見えざる陰から飛来する迫撃砲に撃ち負けていた。『おれ』は、『ダンボール詩人』さんにはわるいけれど、かれの話すことには殆んど興味が湧かなかったし、何よりビールを二缶以上体内に入れるともう睡くて睡くて仕方がなくなってしまうのだった。

「だが、わたしはだれからも、たったの一度も、『ダンボール詩人』などと呼ばれたことも名づけられたこともない。そういったような覚えもない。『ダンボール詩人』というのがどういうものかも知らん」

ダンボール詩人』は一気呵成に十三本めの『バドワイザー』を飲みくだした。そして満足そうに、入念に舌なめずりした。それから不意に顔をしかめ、

「わたしは、はっと気がつくと、そのじてんで、いきなりわたしが『ダンボール詩人』になっているのだということを悟ったのだ!」と言った。

「なるほど」と『おれ』は言った。

「そうなるとおのずから話は変わってこよう。わたしは呼称やそんなような他人の決定を介することなく、わたしじしんで、わたし本人ですらその命名にかかわることなく、わたしという現象そのものが『ダンボール詩人』としてあらわれたのだ。これがいったいぜんたいどういうことなのか、わかるかね?」

「なるほど」と『おれ』は言った。たぶん言った。

「わたしにもわからん」と『ダンボール詩人』は、掌にある缶のからを疑わしげに見つめながら言った。

「わたしはそのとき、こう解釈した。『わたしは「ダンボール詩人」ではないが、「ダンボール詩人」ではないともいえないかな、ですからわたしがもし仮に「ダンボール詩人」ということになったとしてもおかしくはないのですかね?』とな」

「なるほど」と『おれ』は言った。たぶん。

「『なるほど』ではないだろうが!」と『ダンボール詩人』は『おれ』をかきくどくように言った。「これはまさにおまえもが『ダンボール詩人』であることも示しているのかもしれないのだぞ! 深刻なことだ! 深刻で、まったくばかげているのだ! ああ手に負えん!」

 半奇跡的につづいていた『おれ』のまずしい相づちは、半奇跡の境界線をやっとのことで向こう側へとまたいだため、『おれ』は言葉をこぼすかわりに寝息を静かにたてていた。

 

    *

 

「そういうわけだから、わたしはふっと『ダンボール詩人』になった。ふっと『ダンボール詩人』になったからには(これについてはわたしにしてもいささかほぞを固める気合がいったのだが)、それにみあった役割を果たさねばならないと思った。わたしは『ダンボール詩人』になったのもつかの間、ほんとうに『ダンボール詩人』になろうと決めた。なんというか、いま思えば律儀で融通の利かない決心だったとつくづく思い出さずにはいられんよ。ただ当時は、そうすべきだというそれこそ融通の利かない、見えない圧力みたいなものがあって、わたしはそれを圧しかえすほどの意志も精力も十分確保できていなかった、そんな記憶があるようなないような。まあそういうことでわたしは『ダンボール詩人』を捜しはじめたのだ。

 わたしは『イトーヨーカ堂』でパート・タイムではたらいていたものだから、ちょうどいいや、と思った。つぎつぎと搬入されてくる品じな、その殆んどはダンボールに包まれていた。ダンボールはありあまるほどあっていくらでも手にはいるし、いやというほど開けたり切ったりたたんだり棄てたりする。だが問題は、わたしは『ダンボール詩人』であるということだった。詩人なのだ。詩人? それはなんだ? それは具体的になにをすれば、その詩人というものになり、わたしは詩人である、とのお墨付きがもらえるのだろうか? わたしにはなにもわからなかった。

 わからないものはわからないなりにどうにかしようと、必死になって考えた。『ダンボール詩人』は『ダンボール詩人』をなんとしても見いださねばならないのだ。幾度となく途方にかき暮れ、無限に湧いてくるダンボールをこねくり回した。そこでわたしは、不要になったダンボールをてきとうな大きさに破って、その切れ端に文字を書くことにした。詩といえば、おもに文字によって成り立っているのだと思ったからだ。わたしはおずおずと、はじめのうちは休憩中の更衣室で、なれてくると作業のあいだに感じたことや組み立ててみたことを、ダンボールの切れ端に書いていった」

 ひた、ひた、と部屋の隅のほうから淡い音がかすかに響きだし、それは見えない速度で広がっていく。

 

    *

 

「それから何年かたって、その古くさい『イトーヨーカ堂』はひびわれた乳白色の外壁とさびしげな鳩のマークの巨大立体看板をのこして業務を終えた。閉店するには潮時だったと、比較的に関係の良好だった副店長は言っていた。そういうわけで、わたしははたらき口を失い、そして手元には、最後のうすっぺらい給料明細と、おびただしい量の『ダンボールの詩』があった。わたしは呆然として、それらを眺めながら買ってきたコカ・コーラを飲んだ。それが妙な具合に美味しくて、なんだかよくわからない昂揚した気分になったわたしは、散らばって秩序を致命的に失っていた『ダンボールの詩』を、ひと切れずつ丁寧に、丹念に検査して、うまいように並べていった。いろいろな形の切れ端が、そしていろいろな感情や風景や豊穣な無があった。作業は順調に進んだ。決壊した言葉の大洪水はだんだんとわたしにみちびかれ、あるべき秩序を快復していった。それはまさしく、わたしの、『ダンボール詩人』としての結晶体だったのだ! わたしは恋のような熱情、はっきりとこたえを提示できないガス状の熱病にとらわれた。わたしは『ダンボール詩人』になったのか? 情けなくてみっともない、あわれなかりそめの『ダンボール詩人』としてのわたしは終わったのだろうか? それにしても、なんと叙情的で胸にくる詩がここには広がっているのだろう! わたしはついに、ほんとうの『ダンボール詩人』になったのだ!

 わたしは勢いに身をまかせるまま、体裁をととのえ、その『ダンボールの詩』をとある雑誌に投稿しようと郵便局に出向いた。気怠げな局員に原稿の入った新品同様の茶封筒を手渡した瞬間、わたしの体、全身をこれまでに感じたことのないほどのおそろしい鳥肌が駈けめぐった。そのときにはもう手遅れだった。わたしの『ダンボールの詩』は切手をはられ、印を捺され、旅の支度を着々とこなしていっていた。『ダンボールの詩』はダンボールから切り離され、見知らぬ白い紙に圧し込まれてしまったのだ。わたしはなんてことをしてしまったんだろう。それは、取りかえしのつかない失態だった。それでもわたしは、変わらず『ダンボール詩人』でありつづけるしかないのだ」

 

    *

 

ダンボール詩人』はすっかり眠ってしまった『おれ』を抱え、ベッドにそっと横たえ、毛布を肩までかけてやった。そしてまぶしく光る卓上灯のスイッチを切った。

 ひた、ひた、という音はもう止んでいた。見えない水の水位はだいぶ高いところまで上がってきていた。『バドワイザー』の空き缶の古代遺跡はびくともせず、水底で歴史的な重みでもって静止している。

 さて、と『ダンボール詩人』は思った。水位はみるみるうちに腰をこえ、胸をこえ、肩をこえた。見えない水は『ダンボール詩人』の体を無感動に包んでいった。あっという間にそれは首を包み、頭の天辺までを完全に覆った。『ダンボール詩人』は安心して寝息を揺らしている『おれ』を見つめた。

 そうだ、それでいい。静かに眠っていればいい。

 音がすべて無音へと変わって、部屋全体が〈地下〉そのものに、まるで真空になった。やがて、ゆったりと目を閉じた。

 

    *

 

「なるほど」と『ダンボール詩人』は言った。