朝、それがわたしのもとに降ってきたなら


 目に光が入ってきたと思って目を開けると、僕は泣いているのだった。光のせいか涙のせいかあるいはそれ以外の何かのせいなのかわからないけれど視界がうんとぼやけて前がよく見えないから、とりあえずの対処として片手か両手かで片目か両目かをぬぐうと、五〇〇番が僕のことをじっと見つめていた。

「泣いているのですか」五〇〇番は表情をもたないでいった。

「泣いているらしい」僕はわけもわからず答えた。

 テーブル状の赤い大地には、朝が来ていた。朝になっているのか、と僕は呟いた。朝になっていてはしかたがないから、僕は僕の部屋のベッドの上で上体を起こした。体がずっしりとなまりみたいに重たい。なまりっていうと重そうだけれど、なまりがどれほどの重量であるのか知らないし、なぜ重いのがなまりでなくてはならないのかなんて検討もつかなかった。僕はなまりに軽さをおしえてあげたくなってきたが、そろそろ目が覚めてきて涙もすっかり乾きはじめたので、なまりに軽さをおしえてあげたいなんて欲望はどこかにいってしまった。

「よく眠れたかい?」

 僕は「僕の部屋のベッド」と「僕の部屋のベッド」のあいだのどちらかといえば僕の「僕の部屋のベッド」よりに立っている五〇〇番に訊ねた。

「睡眠をとることはありません」彼女は答えた。

「じゃあ、睡眠みたいなこと・・・・・・・・はするのだろうか」

「空を――」

 五〇〇番はロボ的な思考するそぶりをすこしの間してから、いった。

「空を、見ていました」

「ほう」

「空を見るのは久しぶりでした。わたしは十二年と二日の間、道を通行止めにする命をいるか様より賜っていました。ですから其の間わたしは、鋼鉄の門に背をあずけ、向かいの道を十二年と二日の間ほぼ監視しつづけていました。いるか様、つまりあなたを除けば、それまでに合わせて三人の人間が通りかかりました。わたしは人間を注視し、去っていくまで視つづけました。ひとりの男は西から来て、南に行きました。ひとりの女とその子供らしい男児は南の方角から思いつめた顔を浮かべながら歩いてきて、表情は変えないまま来た道を南へ引き返していきました。ひとりとして北へ行こうとはしませんでした。人間が行くのを見送ってしまうと、監視を再開しました。ですから、空を見るのは久しぶりのことでした」

 五〇〇番は滔滔と話していた。彼女の背後にある彼女の「僕の部屋のベッド」を覗き見ると、こちら側の縁のシーツが丸く窪んでいた。たぶんあの位置に腰掛けて夜空を眺めていたのだろう、と思った。

「空を見ていると、光がたくさんありました。星が無数に輝いていました。全部、細かく振動しているみたいでした。空が星たちを内包しているのか、星たちが空を浮き上がらせてるのか、どちらでもあり、どちらでもないような光景でした。星たちは歌っているようでもありました。空がとても黒いので、歌わなければ消えてしまう、そのような懸命さが見て取れました。時折、いくつかの星が時を裂くように流れました。わたしはそれを見るのは初めてでした。それはどこか遠い地へ落ちていくのでしょう。それはあるいはここからそう遠くないところに降ってくるのかもしれません。それは新しくて、新鮮な情報でした。それがわたしのもとに降ってきたなら、わたしはそれのことをよく知って理解することができるのかもしれません。大きな、大事な何かがわかるようになるのかもしれません」

 五〇〇番は滔滔と話しつづけた。僕は空を見上げようとして、顔を上げた。太陽が眩しかった。

「東の空が白みはじめると、星たちは怯えたようでした。自らの光よりもより強い光が空を侵食していったせいです。そして真っ黒だった空も、新たな色を得ることにためらいを覚えているようでした。ですが、かれらはお互いに何とはなしに平気でした。明日も、明後日も、同じことが起こることをかれらは知っているからです。地上に光が射しはじめました。天がますます白くなってきました。朝が来ました」

 そこまで話してしまうと、話は終わり、という感じで五〇〇番は口をつぐんだ。僕はさっきまで見ていたような気がする奇妙な夢のことを思い出したけれど、荒野の朝はとても明るくて、黒の世界で起こったことはたちまちかき消えていった。僕は目を閉じ、それがわたしのもとに降ってきたならわたしはそれのことをよく知って理解することができるのかもしれません、と口の中でそらんじてみた。その言葉は僕の口の中でなめらかに、そしてとても美しく響いた。ほんとうに美しくて涙が出そうだったけれど、それは目を開いたときに飛び込んできた太陽の光がほんとうに眩しかったからかもしれなかった。