「つまり、きみの知っているいるか様が持つ特徴をそっくりそのまま模した容姿を僕がしていて、だから僕がいるか様である、ということかな?」
とりあえず簡潔に聞いた話を整理してみると、そういうことになっていた。
「そうであるといえます」五〇〇番はいった。
「なるほど」僕はいった。
案外、ことの核心には早くたどり着けそうだった。
だが通行止めのさしたる原因となっている工事は、目が眩むほどに前方を見渡しても確認できなかった。もう一時間は歩きつづけているだろうか。あいにく時計は持ちあわせていなかった。五〇〇番に訊けばいいのかもしれないが、時計という機械として彼女に接するのには気が引けた。機械は機械、彼女は彼女、というのともまた違う。僕の心はそういう、観念的な部分でよく足踏みをしてしまう。どちらにせよ、彼女は機械であり、機械は彼女なのだった。
「でも、僕は僕だ」
「いいえ、違います」五〇〇番は明確に否定した。「わたしの記憶領域内に蓄積されたデータからソートされた最適な提案は、あなたがいるか様であるということです」
なんということだろう。僕は少し頭をつかうことにした。
つまりこういうことだろう。五〇〇番には、彼女の中心部分には人工知能があるけれど、その人工知能ってやつが問題なわけだ、悪気はないだろうが。あらゆることを記憶している、それが人工知能だ。あらゆる知識、パターン、イメージ、ビッグデータうんぬん――やつはそれらあらゆることを記憶しておき、そこからこたえを導き出す。その過程はたぶん、人間の脳よりも正確で、隙が小さいのだと思う。そして、人間とは根本的に似て非なるものであるのだろう。まあだいたいこんなんで合ってるかな? よくわからないや。
したがって、こうなる。僕が彼女にいるかであると認識されている事実は、彼女の持つ数値化あるいは符号化された経験値が僕を解析した結果限りなく僕に似ている人物が、かのいるか様だった、という事実にほかならない。AI棋士が将棋の名人を打ち負かすことができるのは、名人よりもはるかに多種の譜面をおぼえているからであり、それらを正確にアウトプットできるからである。
けれども裏返せば、おぼえていないことはハナからできない、ということにもなるはずだ。ピカソのすべての絵画を読み込んで、ピカソ風の風景画を描くことができても、ピカソになることはけっしてできない。たぶん、そんな感じだ。
「ということはさ」僕はいった。
「僕って、そんなにきみのいういるか様と似通っているわけ?」
「あなたはいるか様です」五〇〇番はいった。
「なるほど」
なるほど、と思った。