見えない水(地下の話)

太陽の光線が僅かに揺れた気がした。それを見たとき、急にどこかへ帰りたくなった。そう『おれ』が言うと、それは気のせいだ、と『羊をめぐる冒険』は言った。 「だってそんなものこれまで見たことないよ。窓もないし、光が届くはずもない。残念だけれど」 …

ぼくの好きな音楽

何のために音楽を聴いてるの、と訊くと、「そりゃあおまえ、音楽が好きだからだよ」っていつもヘッドホンを首から提げてるかれは眉ひとつ動かさないで軽やかに言った。ぼくも音楽は好きだし、ただまあかれと好みが合ったことはまだ一度もないのだけれど、音…

きみといる世界

ある日、何かを好きでいるってことは、それそのものが好きだというわけではなくて、その何かがある、その何かを含んでいるこの世界が好きなのだと、ぼくはふと気づいた。 たとえばそうだな、ぼくは小説が好きなんだと思う。 いきなり、「好き」だと「思う」…

木の葉が揺れていた

その時、A校舎二階の隅に位置する講義室の窓辺の席から外を、露天の喫煙所にたち込める見えない紫煙を見下ろしていた時、煙の昇っていく方を追っていくと宙で真新しい緑の樹葉が風に揺れていた。水泳プールみたいだと思った。それは、よく日に照ってたゆた…

第十三話(終) さようなら、きくらげ

僕は歩いていた。そして、歩いている、と思った。地面の反撥が靴底につたわってきて、それだけで何だか気持ちが良かった。結局はそれだけで十分なのだ。 オランウータンはあれから無事にしているだろうか、勢いよく町並みに繰り出してしまってなかなか危険な…

第十二話 霧が晴れて登場するもの

涙ぐましい努力もむなしく『さかなクン』は途方に暮れていた。言葉? 魔法? 本質? わけがわからねえよ! 今日は途方に暮れてばっかだな、今日、今日はいつまでつづくんだ・・・・・・ それにしても暑い、霧の奥から太陽の光が、角度のある西日が皮膚を突き抜けて…

第十一話 長く静かなカーブを回る

懸命に両腕を振り地面を蹴って全力疾走していた『さかなクン』であったが、気持ちこころが落ち着いてきたように思ったので一旦そこに止まって後ろを振り返って見た。白く磨かれた石の地面から草いきれのような具合に霧が立ちのぼってきていて視界はよくはな…

第十話 いるかと「観察者」

『ブラザー複合機』は梢の網を透かして入り込んでくる太陽の光と落ち葉の匂いに包まれた小道を進みながら不器用に動揺していた。動揺というものを初めてそのボディに感じていたのかもしれなかった。というのも、それは案内をすることは性能上お手のものであ…

第九話 サウス・アメリカン・ゲッタウェイ

『さかなクン』は打ちひしがれた。プライスカードや陳列用フックや仕切版どころではなく、そもそもの基底の什器までもがきくらげが並んでいるはずの場所からごそっと丸々脱落しているのだ。『さかなクン』はその場にくずおれた。猛烈な諸感情がこの数時間だ…

第八話 イトーヨーカ堂のあたりを徘徊する小さな青い女児

『ブラザー複合機』は「もんのすごい音」がしたところで変わらず普段どおりのイトーヨーカ堂の出入口に見るに堪えない恰好で立っているように存在した。『ブラザー複合機』が道案内をした、イトーヨーカ堂に用があったとしか推察できないあの声の高い男は「…

第七話 相変わらず目は死んでいる

『さかなクン』は女販売員がスイングドアをくぐってバックルームに消えていくのを呆然と立ち尽くして見ていた。そして急に白けた気持ちになって、これはこれでわるくないかもな、とつま先でスレートか御影石か判別のつかない床のつなぎ目をいじりながら思っ…

第六話 そのすべてを始めた者たち

「もんのすごい音」とオランウータンというオランウータンではない魔法少女志願のオランウータンが言った。 僕は瀕死の状態にありつつ、けれどもそこで天才的にある異和感のようなものを感じとった。もんのすごい音、だって? それは違う。 それは違うのでは…

第五話 マグナ=カルタ(大憲章)はお求めに

気がつくと『さかなクン』はイトーヨーカ堂の「中華材料」コーナーの「きくらげ」売り場に突っ立っていることに気づいた。ずいぶんと遠くまで来てしまったような気もした。かれはキョロキョロとあたりを見回した。ふつうのイトーヨーカ堂だ。 なんだなんだ。…

第四話 『ブラザー複合機』、魂のようなもの

『ブラザー複合機』は投棄された瞬間からきっかり三十分間、じっと沈黙したのち、魂のようなものを回復した。というよりも、宿した、と申し上げた方がどちらかといえば適切なのかもしれないが、どちらにせよさして違いはない。万物に魂は存在しうる。それだ…

第三話 魔法少女オランウータン

僕は『ブラザー複合機』が下生えの茂みにうずくまっているのを三十秒くらい見た。何となく病気みたいな恰好だと思った。ぶるぶるとふるえる捨て猫のようだった。ぶるぶるとふるえる捨て猫を見たことはなかったが。 僕はこの『ブラザー複合機』を置いていった…

第二話 『さかなクン』はどこへいった?

『さかなクン』はわけがわからなかった。というのも、どうしてこんなにコカ・コーラが飲みたくて飲みたくてしかたがないのか、かれ自身まるで見当もつかないのだ。コーラ、コーラとさながら亡霊のように呻いていた。かれが世界初の亡霊であることも考えられ…

第一話 きくらげよ、お前はいったい何者だ?

インターネットで調べてみたところきくらげが何であるかはすぐに分かった。となりの『さかなクン』にそのことについて伝えたところかれは「ギョギョ!?」と一度、いつものように鋭く叫んでから、急にそわそわとし始め、 「コーラは何処だ?」とボソリと呟い…

ハッピーエンドジェイルハウス

良い作品から受けたクリティカル・アタックはその日のうちはずっと引きずり続けるけれど、一度寝て起きてみたらなんだかその損傷が薄っぺらくなってしまっていることが多い。かといってそれでいいかというとそうでもなく、やはり良い作品に触れたときの静か…

神さまがやってきた

日曜日の朝はたいてい気持ちよく晴れているか、もしくはしとしとと雨が降っているものだ。晴れていればとても気分よく起き上がることができるし、一方雨でもまずそれほど悪い気分にはならないことが多い。冬になると偶さか、しんしんと雪が降ることもあるが…

名前はきっとスマイリー

季節が巡り始め、一巡りして、また巡ろうとするまでの話。春から始まり、冬を眺め、また春へ。人はそれに区切りをつけ、一年としている。だけど僕は何年か前のある一年を、一年とはどうしても把えることができずにいる。なぜなら僕の言うその一年のうち、あ…

亡霊

メタフォアにとじこめられたきみを、ちょっとだけでも楽にしてあげたかった。幾層にも重なりあってめちゃくちゃになってしまったきみの世界を、空の高さとか、海のひろがりだとかに馴染ませてやりたい。ぼくはかず少ないこの手で、なにかを握りしめ、なにか…

夏の妖精さん

永遠のような広がりをもって始まった一月半もの夏休みも、残すところ数日となっていた。大学生として迎えた初めてのそれはただ長い長いといっただけで過ぎ、特に目立ったハイライトもないモノトーンのカレンダーは当然のようにだらしなく間延びしている。何…

Center Town

鳩が歩いて、人間も歩いている。トラックが止まり、その脇を原付自転車がすり抜けていく。標識が地面をひたすらに見つめていて、信号の色がパッと変わる。 僕はそれらを白い歩道橋の手すりに寄りかかりながら見るともなく見ている。人と物の動きのコントラス…

キック・オフQ

ひとつのサッカーボールが半分埋まっている。グラウンドの隅の下草のあいだに。時刻は早朝。ところは四丁目のグラウンド。運命的な導きによって、僕はこの時間のこの場所にとりあえず背筋を伸ばして立っている。砂のグラウンドだが砂埃は舞っておらず、あの…

『宝石の国』というインクルージョンについて

最近、宝石の国という作品について考えることが多いです。 (現在の状況は、原作8巻まで、アニメ7話まで) 僕はあまり漫画に詳しい人間ではないので、アニメ化が決まるまでは存在そのものすら知らなかったし、そもそも作品からではなくオープニング曲(ハイ…

アーサー・デントの憂鬱

かりに、宇宙のすべてをその頭ひとつのなかで把えきってしまったとき、ただひとつの惑星に生涯留まって暮らすということは、果たして可能だろうか。「宇宙は広いな〜」と漠然で抽象的な思いが、思弁的論理性を伴ったり伴わなかったりして一時的に、あるいは…

踊りうたうはリリカルあいどる

好きなアイドルがいる。 わけあって、彼女たちの存在は曖昧なところにある。純なアイドルだともいえるし、次元のたが、、が外れたフリークであるかもしれない。でもまあ、なんでもいいや。 さあ、合同ミニライブの幕開けだ。 1.自分REST@RT / 765PRO 2.極上…

パスタ工場とアメリカと爆撃

夜昼となく、空の上をアメリカの戦闘機がごうごうと飛び過ぎる間は、爆弾がふってくるんじゃないかと精神的に少し身構えてしまう。子供の頃、と前置いても良かったのだが、実際今になっても精神的にすこーしだけ身構えてしまうので、そうはしなかった。僕は…

ドーナツ・クッション・クエスチョン(あるいはサバイバル)

ドーナツ・クッションの上にかれこれ三日間ほど座り続けているが、一向に気持ちが固まる気配がない。ワンルーム・サバイバルである。ドーナツ・クッションに座ることで得られる効用は今このさいは脇に置いておくとして、いまはおれ自身の方向的気持ちに向け…

白の街

§白の街 この街は全てが白い。 窓外に見渡す景色は、春霞に支配された王国のような白さだ。家並みの外壁は並べて白塗りで、往来を行く人々はみな白い残像を振りまいている。街道の敷石は鈍く白が浮かび、街灯のポールも白い。夕方の時分時になると一斉に点く…