最近、宝石の国という作品について考えることが多いです。
(現在の状況は、原作8巻まで、アニメ7話まで)
僕はあまり漫画に詳しい人間ではないので、アニメ化が決まるまでは存在そのものすら知らなかったし、そもそも作品からではなくオープニング曲(ハイスイノナサなどの照井さんが作・編曲しているすごい曲)から入ったので、正直多くの部分でついていけてないことがある感じがする。
でもまあ好きなものは好きなわけで、話したくなるほどのあれがあれしているので、宝石の国という作品を部分的に、僕が気になった要素を中心に感想を垂れようかと思います。
********
その要素というのはまあ二つ三つあるのですが、まずは
宝石の国と二次創作
です。
どういうことかと言うと、これを考えていく契機になった二次創作があって、それは
「イエローがダイヤをゴロにゃんするシーンをボルツが見ていて、ボルツがイエローのまねをしてダイヤをゴロにゃんするものの、芳しい反応を得られない」
という漫画チックなイラスト(?)です。ツイッタ―で見かけたものです。よく覚えていませんが、骨子は外してないだろう。
イエローがダイヤをゴロにゃんするシーンというのは実際に作中にあって(原作2巻、アニメ6話)、それをトリミングし、想像力を駆使して、ボルツとダイヤの関係にペーストしたものだと思われます。
それじたいは二次創作の営みであるし、何らおかしい瑕疵や破綻はない。というか二次創作とはそういうものではないか。
けれども、僕としては不自然な風に首を傾けすぎたうえ、ウムムム…と唸ってしまいました。バカです。
というのも、宝石の国の作品内時間とまるで噛み合っていない気がしたからです。
最年長の宝石はイエローで確か3000歳オーバー、最年少でもフォスの300歳オーバー(このさい新モルガ、ゴーシェは置いておきます、泣いてしまうので)という、何百何千単位の世界が横たわっているのです。まさに、どうしようもなく横たわっている。それは歴史や系譜というものはあまり感じられない、かれら同一個体が過ぎてきた糸のようなものであるようにも感じる。
「あるシーンを切り取って、別の瞬間にうつし、それが初めて行われたかのような創作」の違和感。
そんな訳で、おそらくこの作品には(あまり表出はしないが)「諦念」や「無根拠」という空気が大事な、そして不可欠な要素だと僕は感じている。それはとても冷たいもので。なので、毎週タイムラインに流れてくる、アニメ各話の印象的な場面(シーン)を抽出して別のキャラや空間に置き換えるという、そういう刹那的な創作を見ると、おもしろ~~とは一応なるんですけど、いささかめげてしまう。
宝石たちはそんな瞬間的な振る舞いや言動をするのだろうか、と。
まあボルツの家概念までいってしまうと、笑うしかないです。実際めちゃくちゃ笑って楽しいので。
まとめると、一次創作って言うのは良さが作者に還っていくと思うんですけど、いっぽう二次創作は良さがその創作の作者ではなく、原作品に還っていくと思うんです。そんななかで宝石の国という作品は異彩を放っているように僕には見えて、刹那的な二次創作をかれら宝石たちは一見すると受け入れているように見えて、じつは積りに積った作品内時間の重みという氷河には不穏な亀裂が走っているのです。
そんな訳で、おそらくこの作品には(あまり表出はしないが)「諦念」や「無根拠」という空気が大事な、そして不可欠な要素だと僕は感じている。それはとても冷たいもので。なので、毎週タイムラインに流れてくる、アニメ各話の印象的な場面(シーン)を抽出して別のキャラや空間に置き換えるという、そういう刹那的な創作を見ると、おもしろ~~とは一応なるんですけど、いささかめげてしまう。
宝石たちはそんな瞬間的な振る舞いや言動をするのだろうか、と。
まあボルツの家概念までいってしまうと、笑うしかないです。実際めちゃくちゃ笑って楽しいので。
まとめると、一次創作って言うのは良さが作者に還っていくと思うんですけど、いっぽう二次創作は良さがその創作の作者ではなく、原作品に還っていくと思うんです。そんななかで宝石の国という作品は異彩を放っているように僕には見えて、刹那的な二次創作をかれら宝石たちは一見すると受け入れているように見えて、じつは積りに積った作品内時間の重みという氷河には不穏な亀裂が走っているのです。
********
次いきます。
続いての気になる要素は……
宝石たちの生殖
についてです。なるほど~~
これも同じく、ツイッタ―に流れてきたコンテンツを見て、それは違う!!となったことがきっかけの感想です。
というのも、宝石たちの生殖、まあつまりは情事に言及したツイートやそれを描写した絵などが流れてきて、???となってしまった。
ようは無性の宝石たちがエロ(擬似的なものも含む)をやっているというものに、めちゃくちゃ違和感センサーが振り切れてしまったんです。
僕はずっと、宝石たちの無性を当たり前のように受容し、そして(たぶん)人間のなれの果てが宿った「宝石」だとして、かれらを見てきた。それはとても静謐できらきらしていて、俗俗した僕ら人間とは全く違うものだと。
でもどうやら巷ではそうではないらしく、宝石たちに「人間のエロ」を被せて、喜ぶ(興奮する)人たちが結構いるということがわかった。
視点が可笑しすぎる。ちゃんちゃらおかしい。
と、何時間かくらいはバーカバーカといって取り合うつもりがつゆほどもなかったのだが、あとから(数時間後)考え直してみると、以外に面白いテーマなのではないかと思い始めた。
まず肉体的な生殖活動のことはいったん脇に置いて、
生殖についての、それも内的なもの(性欲です)があるのか(残存し、継承されているのか)
を想像することはなかなか興味深いのではないかと。
まあ、ほとんどの場合そんなものは無い、と思いはするものの、可能性としてはかなりありうるとも思われたりしていろいろ"思い"が入り乱れていくのです。
それが実際にあったとして、それはどこに、どのようにして体感的に顕れてくるのだろうか、など…
性器はあるのか、というのも一つのあれになってきます。たしかかれらに乳首はなかったと思われる(ユークレースのシーン:原作2巻、アニメ6話)けど、その他のそういった部位が造形されているのかどうか(たぶんないだろう)、また過剰ではないがレッドベリルが来たときに身体の中心部を隠した(同シーン)ことから微小ながらそのへんの羞恥というものはあるようだし、フムム…
ところで、生殖の根本(エッチなところを僕らは意識しすぎてしまうので)をまずちゃんと据えるならば、宝石たちにとってのそれは人間のようなそれではなくて、化学的に宝石の結晶が出来上がる過程がそれに当たるだろうし、生殖が部分的にでも結晶化、つまり生殖≒結晶化だということになれば、もしかするとアンタークの結晶化シーンはかれらの世界のエッチシーンだった?!?!
などという想像も膨らみます。なかなか面白みのあるテーマだと思いなおしました。
宝石たちの感情の配分はどうなっているのか?
です。
宝石たちはよく月人に攫われてしまいます。なぜかは8巻でだいたい明らかになります。
上でも述べたように、この作品の時間感覚というのは数百数千単位で進行しています。というのも、同一個体がその時間を途切れることなく生き続けていることがそれに大きく寄与しています。
何百年も、長ければ何千年もともに過ごした宝石が、突然いなくなってしまう。僕の感覚からすると「絶望」です。
けれども、そういう攫いがあっても、あまり「絶望」は強調されません。(これ書いてて思ったのですが、個々人ではかなり思うところのある宝石がいますし、それは人間らしいなと思うのですが、全体的なムードを取り上げていきます)
やっぱり人間ではないんですよ、宝石たちは。宝石、なんです。そこのところ、感情の量、という面が非常にぼやけていて、気になってしまう。これはもはや考察だとか推察だとかいうよりも、僕という人間の感情の方向性から生じた宿命的興味のようなものかもしれません。
例えばの話ですけど、「人間のこころ」と「アンドロイドのこころ」、そういうモチーフのちょうど中間に「宝石のこころ」がありそうな気がしていて、はたまた「諦念」というのもかれらの心中に色濃く描写されたりして、その感情の配分の程度がとても気になる要素ではある。
これを考えていたのが一週間前くらいなんですが、なんと、一昨日発売した8巻にアンドロイド(機械)のこころ的なものが登場して、やっぱりか~~とうんうん肯きまくりました。
あとは、「祈り」というキーワードも同巻で登場して、それもやっぱりか…と。
「人間にとっての神」、が宝石、というよりは魂である「月人にとっての人間」、という構造として見られるというのが推測できるようになったというのも面白みがまた増えてきた感じがあります。
ちょっと疲れてきました。宝石たちのことを考えながら書くと蓄積ダメージがずんとくる。
本当につかみどころが少ないというか、独特って言ったらあれですけど、考えることが多いという点では、宝石の国が持つインクルージョンのすごさというものをかなり感じています。
他にも言いたいことがあるような気がしますが、体系的に話すことが苦手なので、ないということにしておきます。
あした、アニメでは「アンタークチサイト」回なので、頑張っていかなければなりません。
以上、20171124時点の感想でした。
次いきます。
続いての気になる要素は……
宝石たちの生殖
についてです。なるほど~~
これも同じく、ツイッタ―に流れてきたコンテンツを見て、それは違う!!となったことがきっかけの感想です。
というのも、宝石たちの生殖、まあつまりは情事に言及したツイートやそれを描写した絵などが流れてきて、???となってしまった。
ようは無性の宝石たちがエロ(擬似的なものも含む)をやっているというものに、めちゃくちゃ違和感センサーが振り切れてしまったんです。
僕はずっと、宝石たちの無性を当たり前のように受容し、そして(たぶん)人間のなれの果てが宿った「宝石」だとして、かれらを見てきた。それはとても静謐できらきらしていて、俗俗した僕ら人間とは全く違うものだと。
でもどうやら巷ではそうではないらしく、宝石たちに「人間のエロ」を被せて、喜ぶ(興奮する)人たちが結構いるということがわかった。
視点が可笑しすぎる。ちゃんちゃらおかしい。
と、何時間かくらいはバーカバーカといって取り合うつもりがつゆほどもなかったのだが、あとから(数時間後)考え直してみると、以外に面白いテーマなのではないかと思い始めた。
まず肉体的な生殖活動のことはいったん脇に置いて、
生殖についての、それも内的なもの(性欲です)があるのか(残存し、継承されているのか)
を想像することはなかなか興味深いのではないかと。
まあ、ほとんどの場合そんなものは無い、と思いはするものの、可能性としてはかなりありうるとも思われたりしていろいろ"思い"が入り乱れていくのです。
それが実際にあったとして、それはどこに、どのようにして体感的に顕れてくるのだろうか、など…
性器はあるのか、というのも一つのあれになってきます。たしかかれらに乳首はなかったと思われる(ユークレースのシーン:原作2巻、アニメ6話)けど、その他のそういった部位が造形されているのかどうか(たぶんないだろう)、また過剰ではないがレッドベリルが来たときに身体の中心部を隠した(同シーン)ことから微小ながらそのへんの羞恥というものはあるようだし、フムム…
ところで、生殖の根本(エッチなところを僕らは意識しすぎてしまうので)をまずちゃんと据えるならば、宝石たちにとってのそれは人間のようなそれではなくて、化学的に宝石の結晶が出来上がる過程がそれに当たるだろうし、生殖が部分的にでも結晶化、つまり生殖≒結晶化だということになれば、もしかするとアンタークの結晶化シーンはかれらの世界のエッチシーンだった?!?!
などという想像も膨らみます。なかなか面白みのあるテーマだと思いなおしました。
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次です。 宝石たちの感情の配分はどうなっているのか?
です。
宝石たちはよく月人に攫われてしまいます。なぜかは8巻でだいたい明らかになります。
上でも述べたように、この作品の時間感覚というのは数百数千単位で進行しています。というのも、同一個体がその時間を途切れることなく生き続けていることがそれに大きく寄与しています。
何百年も、長ければ何千年もともに過ごした宝石が、突然いなくなってしまう。僕の感覚からすると「絶望」です。
けれども、そういう攫いがあっても、あまり「絶望」は強調されません。(これ書いてて思ったのですが、個々人ではかなり思うところのある宝石がいますし、それは人間らしいなと思うのですが、全体的なムードを取り上げていきます)
やっぱり人間ではないんですよ、宝石たちは。宝石、なんです。そこのところ、感情の量、という面が非常にぼやけていて、気になってしまう。これはもはや考察だとか推察だとかいうよりも、僕という人間の感情の方向性から生じた宿命的興味のようなものかもしれません。
例えばの話ですけど、「人間のこころ」と「アンドロイドのこころ」、そういうモチーフのちょうど中間に「宝石のこころ」がありそうな気がしていて、はたまた「諦念」というのもかれらの心中に色濃く描写されたりして、その感情の配分の程度がとても気になる要素ではある。
これを考えていたのが一週間前くらいなんですが、なんと、一昨日発売した8巻にアンドロイド(機械)のこころ的なものが登場して、やっぱりか~~とうんうん肯きまくりました。
あとは、「祈り」というキーワードも同巻で登場して、それもやっぱりか…と。
「人間にとっての神」、が宝石、というよりは魂である「月人にとっての人間」、という構造として見られるというのが推測できるようになったというのも面白みがまた増えてきた感じがあります。
ちょっと疲れてきました。宝石たちのことを考えながら書くと蓄積ダメージがずんとくる。
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話は変わりますが、前に某誌でこんなことを目にしたことがあって、それをかいつまんで紹介すると、
"外傷の欠如、動機の欠如、そういった無根拠こそがアニメや漫画という虚構空間における登場者のリアリティを増す"
のようなことだった気がします。
これを僕はいつまでも忘れられなくて、というかこれを見たときふっと肩の荷が下りた気がしたんです。そういう風に認識すればいいのかと。
で、宝石の国はこれがもろに、そして効果的に反映されている作品で、だからというわけではない部分も多いと思いますが、とても僕としてはこころにずっしりとくる作品です。
"外傷の欠如、動機の欠如、そういった無根拠こそがアニメや漫画という虚構空間における登場者のリアリティを増す"
のようなことだった気がします。
これを僕はいつまでも忘れられなくて、というかこれを見たときふっと肩の荷が下りた気がしたんです。そういう風に認識すればいいのかと。
で、宝石の国はこれがもろに、そして効果的に反映されている作品で、だからというわけではない部分も多いと思いますが、とても僕としてはこころにずっしりとくる作品です。
本当につかみどころが少ないというか、独特って言ったらあれですけど、考えることが多いという点では、宝石の国が持つインクルージョンのすごさというものをかなり感じています。
他にも言いたいことがあるような気がしますが、体系的に話すことが苦手なので、ないということにしておきます。
あした、アニメでは「アンタークチサイト」回なので、頑張っていかなければなりません。
以上、20171124時点の感想でした。