第一話 きくらげよ、お前はいったい何者だ?


 インターネットで調べてみたところきくらげが何であるかはすぐに分かった。となりの『さかなクン』にそのことについて伝えたところかれは「ギョギョ!?」と一度、いつものように鋭く叫んでから、急にそわそわとし始め、

「コーラは何処だ?」とボソリと呟いた。

 ここは飲食禁止だよ、と僕が言っても、

「コーラは何処だ?」と目を伏せたりそこから上げたりしながらかれは言った。それからというもの、『さかなクン』はコーラの在処を僕に訊きつづけることしかできなくなってしまったようだった。

「コーラは何処だ?」と『さかなクン』は僕に訊いた。

 かれの頭上の魚はもう魚ではなく、そもそも魚ではなかったのかもしれないが、死んだ目を持った風船になっていた。僕はとても申し訳ない気持ちになるとともに、『さかなクン』のことを心底気の毒に思った。

「コーラは何処だ?」と『さかなクン』は言った。

 ほんとにごめん、と僕は思った。かれが『さかなクン』という名を背負ってしまっている以上、僕にはどうすることもできないのだ。

「コーラは何処だ?」と『さかなクン』は言った。

 

 何かを喪った『さかなクン』を置いて、僕は足早に市民センターを出た。外は気持ちの良い春の空気でみちていた。花粉が元気に飛びまわり、青空には雲ひとつなかった。僕は真っ青な海を思った。そこは空っぽで、生の脈動のかけらもなかった。もう考えるのはよそう。帰ってこないものや人に心を向けるのは。

 そこで、『ブラザーの複合機』を投棄している男が林の入り口あたりにちらりと見えた。

「何してるんです?」と僕が声をかけると男は、

「『ブラザーの複合機』を棄てているんだ」と言った。

「どうしてです?」と僕がさらに言うと男は怒りに怒って叫んだ。

「『ブラザーの複合機』を棄てたいからに決まってるだろうが!」

 まただ、と僕は思った。僕にはどうにも手のつけようがない意志がムクリと起き上がる。さきほど『さかなクン』にした話をその男にもまた話す羽目になってしまった。それを聞くと男は泣いた。とにかく泣かなければ気が済まないというふうに泣いた。泣きに泣いてしまうと男は膝をついているところから立ち上がった。

「ぜんぶ、この『ブラザーの複合機』のせいさ」

 男はそう言い残し、『ブラザーの複合機』を林の入り口あたりに置き去りにしたまま、何処かへ歩いて行ってしまった。僕は男の背中をその姿が道を折れるまでずっと見送ってから、首を振り、ひとつため息をついた。

 

 きくらげよ、お前はいったい何者なんだ?