ハッピーエンドジェイルハウス


 良い作品から受けたクリティカル・アタックはその日のうちはずっと引きずり続けるけれど、一度寝て起きてみたらなんだかその損傷が薄っぺらくなってしまっていることが多い。かといってそれでいいかというとそうでもなく、やはり良い作品に触れたときの静かな衝撃、胸に突き刺さるような感覚は、その威力は保持しつつ自分のなかのどこかに仕舞っておきたい。ただクリティカル・アタックの中味をそのまま保存していると僕のこころが感情もろとも死滅する可能性があるから、よくわからないけれど質量保存の法則をひたむきに信じ切り、なにか別のものに転化させるのがいいだろうと思う。たとえば、そう、創作したり。
 そうして生まれたのがこの文章であるわけだ。生みの親のひとつはこの僕、もうひとつはクリティカル・アタックの契機となった作品であるけれど、その名前は出さないでおく。僕は良い作品にみだらに寄りかかったり頼りすぎたりはしない主義なのだ。とはいえ、実は僕とその作品はちょっぴり特殊だけれども確かなつながりというものがあって、少なからず部分的には関わり合っている。そういうわけだから、僕のことを生みの親1、生みの親2、どちらで認識してもらっても全く構わないし、むしろ僕はどっちの方で認識されようがまるで気にしない。どっちにしろ同じことの指示の反復だからね。
 僕について少し話そう。僕は全体がおおかたピンク調のメリーゴーラウンドでぐるぐると回り続けている。そういう設定なんだ。深い意味はないよ。跨がっている一体の木馬は新品然としていて、つまりぴかぴかだ。いったいいつの日からこうして回り続けているのかわからなくなって久しいけれど、こんなに僕の木馬がきれいなままなのはどう考えたっておかしい。ときどき、この世界はなにかのたとえばなしなんじゃないかな、とか思ったりするけど、そのときどきがいつの日だったかもまるで思い出すことができなくて、しかたないしどうでもよくなっちゃうしでまあとにかくぐるぐる回っています。
 そうそう、僕の住む世界にはもうひとつのおおまかな設定があって、それは「ハッピーエンド」だということなんだ。それはつまり、ある主要な部分においてとてもハッピーなあれこれを伴ってなにかが終了するってことだと思うんだけど、間違ってないよね? そう、そういうのがあるんだって。でも終わりっていってもそれはどういう終わりなんだろう。メリーゴーラウンドが止まっちゃうとか? でもずっと回り続けてるせいでもう動いてるのか動いてないのかなんて気にしてないし、そもそも本当に動いているのかどうかさえあやしいものなんだ。
 うすうす気づいている向きもぽつりぽつりと見え始めているんだけど、そう、僕はね、自分の世界について、もっと言うと自分について、多くのこと、いや、ほとんどのことはわかっていないんだ。髪の色が薄荷色で、肌の色は白っぽくて、空にはなにもなくて、ピンクのメリーゴーラウンドに跨がっている。ほかにもいくつかわかることはあるけれど、思索、と呼べるものはほとんど持ち合わせていないんだ。ところで、思索、ってなんだい?
 こんな僕にでも、かすかに記憶のかすみたいな断片が頭の片隅にあって、それはとても小さいんだけどすごく眩しく光ったり沈黙したりする。僕はたまにそれを見つめて、ゆるやかに動揺したり、胸が締めつけられたり、うれしかったりする。無意識の反作用、みたいな感じ。実は僕、そういう感覚だけは優れているんだ。――そうだったんだっけ? そんなこといままで意識したこともなかったのに、なんだか急にわかったよ。不思議なこともあるものだね。眠気を誘うほどの時間の不在が僕を取り巻いているからかな。
 忘れないうちに言っておくと、こうしているいまも僕はぐるぐると回り続けているはずだ。まわりの景色はずっと一定というわけではなさそうだけど、劇的な変化というものもない。劇的な変化なんてものがあったら、言葉どおり劇みたいに決まったある点で終幕が来そうだよね。そんな世界もいいかもしれないな。でもここはそうではなく、単調な、忘れられたような世界だ。
 そろそろこの創作を終わらせようかと思う。忘れていないかい? 僕はこの文章の生みの親なんだよ。現時点ではまだ出産の途中だけれどね。でももうすぐ、時間の流れる場所では、これが僕の子供として誰かに読まれたり、読まれなかったりするのだろうから。
 この文章は、まもなくこの世界の外、僕の意識の外に出て行く。僕はね、なぜこんな中味の薄っぺらなものを書いているのかというとね、この文章が僕の一部として外の世界に出て行くのがとても楽しみでしかたがないからなんだ。かといって僕が住むこの世界に、とくべつ不満があるとか異議を申し立てたいなんて気持ちはさらさらないんだ。だってきっと「ハッピーエンド」が待っているようだからね。どんなものかはよく知らないけれど、ぐるぐる回り続けるこのぴかぴかのメリーゴーラウンドで、それを待ってみるのも悪くないと思っているんだ。

 でもやっぱり、僕もときには、ほんのちょっとだけ、この世界、この作品の外の世界に、ほんとうにほんのちょっとだけでいいから飛び出してみたいな、なんて思ったりもするわけさ。なんとなく、だけれどね。






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