『さかなクン』はわけがわからなかった。というのも、どうしてこんなにコカ・コーラが飲みたくて飲みたくてしかたがないのか、かれ自身まるで見当もつかないのだ。コーラ、コーラとさながら亡霊のように呻いていた。かれが世界初の亡霊であることも考えられる。
「さようなら」
『さかなクン』は顔を上げた。うそだろ。待ってくれ、行かないでくれ。そう何とか叫ぼうとした。けれど、叫ぶにはいくぶんのどが渇きすぎていたため、言葉は食道あたりでつっかかってしまった。言葉が食道でつっかかるなんて、そんな、ひどすぎる。なんてザマだ……
そのままあの人は出て行ってしまった。
あの人は行ってしまったからもうあの人にコカ・コーラのありかを訊きだすことは望めなかった。ペプシじゃだめなんだ。ペプシなんて、だめだ。無印良品の『コーラ』も、あんなものは論外だ。――コカ・コーラが飲みたいなあ……
『さかなクン』は図書エリアのカラフル緩衝マットに手をついて、ひといきに立ちあがった。捜しに行こう、コカ・コーラを。のどが渇いて渇いてしかたがねえよ。
市民センターを出ると、気持ちの良い陽気が広がっていた。『さかなクン』は思わず目をそむけた。真っ青な空のとてつもない幅をどうしてか、怖いと思ったのだ。『さかなクン』はアスファルトの地面を凝視しつづけて歩いた。コカ・コーラの自動販売機を何台か通り過ぎた。かれはそのまま歩きつづけた。
イトーヨーカ堂が近くにあるかもしれないと感じて目を上げるとそこにはイトーヨーカ堂がたたずんでいた。『さかなクン』はにっこりと笑顔になった。イトーヨーカ堂じゃないか! ここならコーラが飲めるかもしれねえぞ。もちろん、コカ・コーラだぜ! かれはノリノリスキップ平泳ぎで自動ドアをくぐろうとしたが、ノリノリスキップと平泳ぎは両立しないことに気づいてしまったのと、自動ドアではなくガラスの開きドアだったことが災いして、ちょっとした災いがかれに降りそそいでしまった。
問題ねえさ! さあ、はいろうぜ!
『さかなクン』はドアを開き店内にすべりこんだ。
何かがおかしい。何かがおかしくなっている。けれど『さかなクン』がそんなささいな「何か」を敏感に察知することはなかった。『さかなクン』の身にもおかしなことは起こっていて、というのもかれの意志に関係なくかれはすべりつづけているのだ。かれは気づいていない。コカ・コーラの亡霊にとりつかれてしまっているからだ。
すべる、すべる、すべる、すべる、『さかなクン』コーラを掴んだ!、すべる、すべる、レジに行こう、すべる、すべる、きくらげ、きくらげ、……きくらげ?
きくらげ?
海と空が逆転するような音がして、「中華材料」コーナーの「きくらげ」売り場に別れの合図が刻まれた。もんのすごい音だった、とその時店内にいた人々は口をそろえた。ただひとりをのぞいて。
『さかなクン』はどこへいった?