亡霊


 メタフォアにとじこめられたきみを、ちょっとだけでも楽にしてあげたかった。幾層にも重なりあってめちゃくちゃになってしまったきみの世界を、空の高さとか、海のひろがりだとかに馴染ませてやりたい。ぼくはかず少ないこの手で、なにかを握りしめ、なにかを祈り、なにかを動かそうとした。方法はほとんどみつからなかった。いや、結局はどうだったんだっけ。あるとないのあいだの地平がどんどん遠のいていってしまったことだけが、いつまでたっても脳裡のうすい膜のあたりからどうしたって離れないんだ。ぼくはきみにたどりつくことが、その手をぎゅっと捕まえることができたのだろうか。灰色いっしょくの荒野から、玉虫色の狂った都市群から、きみを一生懸命に救い出そうとしたんだよ。でもほんとうはさ、捕まえるなんてものじゃなくて、ぼくはきみともっと純粋できれいなところで、出会いたかったんだ。風がそっと頬を撫ぜる瞬間のふとした透き間みたいな出会いがしたかった。いまとなっては、もう手遅れかな。
 ぼくのまわりには、いつからか無数の亡霊がつきまとっていて、いっこうに離れていかないんだ。亡霊っていっても、けっして怖いものではないよ。どこまでも透明で、つねにぼくに背を向けているんだ。まあ透明なわけだから前も背もないようなものなんだけど。でもたしかに背なのさ。ぼくにはそれがどうしてもわかってしまうんだ。だからね、怖いなんてことは一切ないんだけど、とても淋しくなって、淋しさばかりで、淋しさがぼくと空気との境界をうめてしまうんだ。寒すぎる無音の空間に、ただひたすらに亡霊たちを形式的に追いかけているぼくがいる。だからといって、淋しさを好きになりたくはなかった。
 ときどき、いや、これはすこし前置きの感がすぎるね、そう、いつもだ、ぼくはいつも、ほんとうはこの亡霊はきみなんじゃないかって思うんだ。根拠なんてないよ。だって無根拠こそが、この虚構じみた空間を成り立たせているただひとつの根拠だからね。あらゆる欠如そのものが、逆説的にこのぼくのファルスのリアリティを増幅させているんだ。だからね、この亡霊はきみかもしれない。きみじゃないかもしれない。でもぼくにとってはきみなんだ。
 きみはぼくに背を向けている。でも、それは違うんじゃないの、と透き間風がたえずぼくに吹きつける。その風はこう言うんだ。「きみ」が背を向けているんじゃなくて、「ぼく」が目を逸らしているんじゃないか、って。その風の声が初めて耳をとおりすぎていった時、ぼくはすべてをやめてしまいたくなった。このなにもない無色の空間で、なにもかもを放ってしまおうとした。だけど、放り出すものがそもそもなにもなかったから、しかたなくまたきみに目を向けた。あいかわらずきみはぼくに背を向けていた。
 ぼくはいつの日か、メタフォアにとじこめられたきみを救おうとした。けれど、たぶん、ぼくはそれに失敗してしまったのだろう。そうして残されたのは、あるいは反転したのは、ぼくと、きみの無数の亡霊と、この虚構じみた空間だ。とおくのほうにメリーゴーラウンドが見える。とおすぎてときどきメリーゴーラウンドということを忘れてしまうけれど、ぐるぐると回っていることだけは忘れてしまうことはないんだ。
 ここは無根拠こそが根拠になっているとぼくは言ったけれど、正確にはそうではないんだ。ぼくはここにいるようになってずいぶん久しいからね。わかることも少なくはないのさ。たとえば、そう、ぼくとはいったいなんなのか、というようなことについてもある程度わかっているつもりだ。ぼくはぼくを把握している。つまりね、ぼくはぼくを意のままに操れる、ということ。無根拠こそ根拠、というもののさらにうえに実はぼくがいるんだ。この文章も、もちろんぼくの意図がしめす方向をもっている。ふふっ、ここまで言えば、だいたいはわかってもらえるだろうな。
 そしてぼくはまた、きみの亡霊をうしろから見つめる。ぼくの視線は透明なからだに入り、反転したきみの目をとおりすぎていく。ただよう淋しさは、まるでメタフォアのようだと、ぼくは気づいている。