第三話 魔法少女オランウータン


 僕は『ブラザー複合機』が下生えの茂みにうずくまっているのを三十秒くらい見た。何となく病気みたいな恰好だと思った。ぶるぶるとふるえる捨て猫のようだった。ぶるぶるとふるえる捨て猫を見たことはなかったが。

 僕はこの『ブラザー複合機』を置いていった男が曲がったほうとは逆に道を曲がった。口さびしさにノラ・ジョーンズの「ドント・ノウ・ホワイ」をハミングしていると、先に揺れてのびていく道の斜交いからオランウータンが走ってきて僕の直前に止まった。それは何度かピョンピョン跳ねたのち、こう言った。

「ピョンピョン」

 僕はすっかり気が動転してしまい、思いっきりそのオランウータンをぶん殴ろうとしたけれどやっぱり蹴飛ばそうかと思ったところで、そいつは僕にむけて第二声を発した。

ダゴゴダゴゴ

 気を失うかと思った。ダゴゴダゴゴ、だって? そいつは…………

 

「わたくしは擬音にたいして挑戦しつづけているオランウータンです。擬音っていうのはですね、さきほどわたくしが申し上げた、ピョンピョン、でしたり、ダゴゴダゴゴ、のような言葉のことです。……プクスプクス……申し訳ありません、はじめについ、オランウータンです、と名乗ってしまいましたが、それがどうにも可笑しいなあと……プクスプクス……わたくしはオランウータンでありますが、同時にオランウータンというオランウータンではないのですよ、当然のことですが。そんなこんなで言葉というものは非常に興味深いもので、たとえば魔法少女なんてものがいますが、あれは言葉のスペシャリストですよね。正真正銘、まごうかたない言葉のスペシャリストですよ、まったく。言葉が魔法になるんですねえ興味深い。逆に、魔法は言葉になるのでしょうか? 実に興味深い。キョミキョミ! そうだ、もしかりに、魔法少女から言葉を奪ってしまえば、それでも魔法少女魔法少女足りえるのでしょうか? え、魔法処女になるですって? いやいや、ガババガババ! 笑わせないでくださいよ! そんな言葉遊びのようなこと言って…………言葉遊び、ですか。なるほど、言葉遊び。言葉遊びの定義とはいったい何でしょう。言葉で遊ぶこと、それはつまり、言葉を用いること、と同義なのではないでしょうか。そうなりますとわたくしたちが今この瞬間おしゃべりをしているという実際的な行為も言葉遊びと言えるのかもしれませんね。おっと車です。こっちの端に寄りましょう。ジェビジェビ。フム。あ、そうそう忘れていました。あなたに話しかけたのはですね、他でもないあなたに、わたくしを魔法少女にしていただきたいのですよ。あれ、違ったかな? 魔法少女ってのは、何でしたっけ? 魔法少女? どうして魔法少女の話なんてしているんですか? あれ? う、ううう。オウ。アアア。ダゴ。ダゴゴ。ダゴゴ、ダゴゴ。ダゴゴダゴゴ!」

 

 イルカが空を飛んでいた。まあ、空だって海になりたいことがあるだろうし、逆もまた然りだろうな。

 

 僕は瀕死の状態からかろうじて復帰し、目の前のオランウータンというオランウータンではないオランウータンを死ぬ気で正視した。そいつは僕のことを、というより僕の目と鼻の間を見つめていた。なるほど、そういうことか。お前の意図はよくわかったぞ。それだけで十分だ

 

「もんのすごい音」とオランウータンというオランウータンではないオランウータンが言った。

 

 魔法は言葉になることができるだろうか?