ダーク・インゲはにこりともしない女だった。

記憶力のいい人間というのはたしかにいて、それもけっこうな数の人間が多くのことを記憶しそれらをいろいろなことに役立てたり、役立てなかったりしている。

それはとてもうらやましいことである。

何かを憶えているということは、そのまま生活のくだらなさにつながっていくと思う。くだらない生活がしたかった。ああいうくだらなさや、こういうくだらなさ、いいなあと思う。どういうくだらなさがうらやましいのかがわからないのは、もちろん、ぼくの記憶力がいちじるしく欠如しているからである。

 

おっぱいの大きいフィギュアを三つ買った。

その安堵は開封後20分ももたず、ただのセックスシンボルとなった。

 

ずっと何かのパーツが足りないという気がしていて、そのパーツを埋めたいなとずっと思っているのだけれど、パーツはどこかから急に一方的にやって来るものではないし、アマゾンとかで購入できたりもしないし、目が覚めたら枕もとにそっと添えられていることもないし、ぼおっと窓の外をながめていたら通り過ぎていって待って止まってなんてこともないし、たぶん自分がいいかんじに行動していいかんじに埋めるものなんだけど、それは本来どんな形でもあってどんな形でもないからとりあえず当てはめてみてまわりの本体をうまい具合に調整していくのがいい、本体というのは自分自身のことでそれは本来自分自身なのだから自分のすきなようにぐにゃぐにゃとできるものであって、でもやっぱりおれは自分というものに合いそうだと思ったパーツを気持ちのいいところにつけたいわけなのであって、それは気持ちがいいけれど気持ちがいいだけで何も変わらなくて、日高屋の野菜炒め定食を毎日食べることと変わらないというときみはキレて日高屋から出て行ってしまって、おれは得体のしれない料理とにらめっこしていた。