家庭の医学

 

こんにちは。

 

^^

 

たぶん僕は14年前にいちど戻って、帰ってきたのだと思う。

微妙にかたむいたハッピーにすいこまれそうなところを這いました。

よかった~~~

 

退職後2週間が経つところで、明日までに役所に行く必要があるのだけれど、

風呂には入れないしその言いわけを不調のガス給湯器になすりつけているのでさきほど二度オナニーをしてとてもかなしくなりました。

もうすぐ27回目のハッピーバースデイだ。まったくハッピーではない。死ね。

こうやってマジの底辺社会人がいっちょまえに退職エントリーをかいていることに危機感をおぼえています。退職エントリーなんてまだこの世に存在したのかと驚いていますが、かいているので存在してました。転職などはしておりません。ただ円満に職を辞したので勘気を蒙りはしませんでした。穏やかに死にゆく無職というわけですね。

 

やりがいのある仕事ではありました。仕事というのは(「仕事というのは」!)やりがいを認識できる人間が過程として損をするものだと思った。こうして一般化をしてしまう自分はやはりどことなく馬鹿ですね。

奇妙な仕事だとは思っていた。その分いろいろと融通はきいたし、22時に入って朝まで稼働してそこで帰ってもそのまま居続けても問題はない。これは単なる時間的な話ではなく、生き物を相手に行動しているからだ。この生き物というのは、半分は生物というそのままの意味であるが、半分はまた別な生き物のことです。もちろん僕も生き物なので、あるゴール(それは段階的なものだ)が用意されているルートを辿るうえで、僕も生き物たちにあわせる形でいろいろな生き物になる必要があった。僕は僕という生き物が好きなので、僕は僕という生き物に還ってきた。

 

現在。

僕という生き物はたしかに存在していたはずだが、輪郭のない不恰好な殻となってしまっていた。

呆気にとられてしまった。殻に籠ってしまいたいと思った。今なら比喩ではなく、感触を伴った殻をセーターに首をつっこむみたいに着込むことができるのだ。

しかし殻はどこにも見当たらなかった。なぜかというと、「僕という生き物はたしかに存在していたはずだが、輪郭のない不恰好な殻となってしまっていた」からです。

混乱しています。助けてくれ。

 

生まれてこの方旅行をしたいと思ったことがなかったのですが、どういうわけかいまとても旅行をしたいと思っています。これがどういう意味あいの旅行をさしているのかが自分でも判然としない。意味あいというのはたとえば「傷心旅行」だとかそういう具体の意味あいではなく、もっと欲望的・根本的な意味あいです。

突然のヘイトで申し訳ないが、僕は「観光」という体験を狂気の沙汰だと思っています。狂気がどちら側にあるかはもちろん自覚しています。

 

要するに、今の僕は陰茎ではなく膣なのだ。

 

末筆ながら、この世のすべてがハッピーであることを願っています。

さようなら。ハッピー。