家出したときの話

 

 とくにおもしろいこともなかったのだけれど、ちょっと本棚が目の前にあってその時のことを少しだけ思い返していたらどうしようもなくなってしまったので、書けることだけ書く。

 大学4年への進級が確定したとき、けっこう身体というか身体についてくる何もかもが身体から離れちゃいそうになっていて、というのも、必要30単位のうち28単位しか取れずに3年への進級ができず留年(その分の学費はなんとかバイトの給料で3年時の夏ごろに親に返済し終わっていた)したり、いろいろあってお薬の民になっていたりしてこのまま4年に進級しても卒業できそうになかったりして、休学費用くらいなら貯金で賄えそうだったので、休学することに決めた。
 ただ、そういう身体的なことだけではなく、休学中にしっかりとやりたいこともあった。といっても、それはほとんど自己留保みたいな、半分あらゆることからの逃避みたいなきらいがなかったわけではない。僕はそこまでちゃんとした人間ではない。
 そのやりたいことというのが、まあざっくりと言えば、とても自己の内面にもぐり込んでいかなきゃできないことで、もとから家族のなかで異質で、矯正の必要がある存在として見なされていた僕と家族の、綱引きみたいなかかわりがミシミシと嫌な音を立て始めた。

 休学期間に入ってから数ヵ月、たぶん暑くもなく寒くもなかったから、初夏の頃合だったと思う。夕食の席で、もうしばらく目も合わせてないし合わせたくもないような感じだった肉親のひとりと、ちょっとした言い合いになった。その人はすでに食事を終えて、ソファでくつろぎながらクイズ番組を観ていた。異常なスピードで食べる人だった。テレビの笑い声が死ぬほど嫌だった。僕はリビングにいるとき常にテレビに苛ついていた。
 言い合いがどうして起こったのかは憶えていないが、おそらく僕がちょっとした苛つきを口にしたのだと思う。そのリビングは、僕のちょっとした苛つきにとても敏感だったから。で、その人も恒常的に精神のはげしい波にさらわれている人で、その時はとくに反応を返してきた。僕は言い合いは強くないけど負けたくないというくだらないタイプの人間だから、そういう人間の常套句的な、軽く嘲るような言葉を発作的に選び、返した。その人はぶちギレた。わからない人も多いかもしれませんが、恒常的な精神の荒波のなかで生きている人間の怒りというのは、その人自身が発する勢いだけでなく、何というか世界もそれに同調しているような、そういった凄まじさがある。僕は怖さと苛立ちとに駆られて持っていた箸をまっぷたつに折った。その人は立ちあがってこっちに来、僕の胸ぐらをつかんでいろんなことを叫んだ。母がちょっと追いついていないといったふうな口調と態度で僕らを制したが、まあそういう諍いはけっこうな部分で母のせいでもあったから、僕らは相手にしない。
 その人は僕の顔面を殴ろうとしたが、殴れないことが僕にもわかっていた。それは母が後ろから羽交い絞めにしているからではない。その人はやさしい人間なのだ。荒波に呑まれてしまっているだけで、もともとしつこすぎるといううっとうしい面はあったけれど、なんてことのない普通の人間なのだ。僕はそのことをその時痛いほど思い出すというか、そうだった、となってしまって、サッと自分のなかから熱とか後悔とか苛立ちのようなものが去っていって、折れてしまった箸を味噌汁でぐちゃぐちゃになったテーブルに置いた。
 おまえは出ていけ! 二度と帰ってくるな! と何度も言われた。それはリビングがこうなってしまう度にその人や母から言われることだった。そういうとき、僕はいつもは自分の部屋に籠って電気を消して布団をかぶっていたのだけれど、その時に限って、おれはここから本当に出ていく必要がある、と瞬時に判断した。出ていきたかったし、それを肉親がすごい剣幕で望んでいた。それに、折れた箸が、毎日つかっている箸を勢いに任せて折ってしまったというのが、けっこうきつかった。

 僕はいったん部屋に戻って財布とスマホと煙草だけつかんで、外に出た。母に、ごめんねって言った。
 家出なんてよくあることでしょ、という向きもたくさんいると思う。家族との喧嘩なんて普通のことじゃん、という。でも、ちょっと違うのである。この家には、家族という形のつながり、何というかそういう無防備でほっとかれていて一番重要なもの、が構造的な欠陥を具えながらあって、そのなかに「家出」はあってはいけないものだった。
 スマホの電源を落として、線路を歩いた。このへんでは線路をふつうに歩く。いや、そんなことはないのかもしれないけれど、僕はふつうに歩く。で、モノレールでとりあえず終点まで行こう、と決める。それが二週に一回、僕が病院に行くルートだったし、私鉄の駅よりもモノレールの駅の方が何倍か遠いところにあったから。発作的な家出だから、まあそれなりに興奮もしていたし、川沿いの遊歩道に出て煙草を吸いだしていたから、とりあえずもっと歩こうと思った。
 なんだか、今思い返すと、おれってほんとうにしょうもないな、って思う。翌日に家に帰るまで、だれか友達の家に寄ったり、好意を抱いている異性に勢いそのままに想いを伝えるとかもなく、ずっとひとりで、ずるずると行動しただけだった。そういうのが、今はいちばん心にずしんと来る。
 モノレールに、ウォークマンを持ってこなかったことを後悔しながら(スマホをつけたら警察かなんかに位置を特定されてしまうので。案の定、母は日付が変わったころに警察に連絡していたらしい。そんなにしなくてもいいのではと警察の人に言われた、ということだけは伝え聞いたが、そんなことは耳に入っていないらしかった)終点から終点まで乗って、そこから今度はJRに乗ろうと思った。
 JRに乗るということは、もう夜もだいぶ深くなっていたし、今日はそのまま家に戻らないということだった。それに、部屋着にクロックスもどきを引っかけたままの手ぶら、という恰好だといろいろ不便もありそうだと思い、駅中のショップで、ご当地ものみたいな船のイラストがついた生成りのトートバックをとりあえず買った。そこに財布と息絶えたスマホを放り込んだ。その隣りに本屋もあったから、村上春樹の『螢・納屋を焼く・その他の短編』の文庫本を買っていた。それも放り込んだ。電車が来た。
 これはちょっとしたオトク情報だが、部屋着にクロックスもどきで、人のわりあい多いJR線に乗車するのは、あまりおすすめできない。恥ずかしいだとか人目が気になるとかではなく、自棄になっていて何故か周りの人間よりも少し優位に立っているみたいな感覚に一時的になって、しばらくしてそのことに気づいて、けっこう落ち込む。

 こういうとき、僕はしょうもない人間だから、どこまでも行くのではなくまあそれなりに知ってるかなって駅で降りてしまう。横浜駅である。
 地下通路のコンビニでアメリカン・スピリットの黄色だが橙色だかとワンカップ大関を購入し、その後は東口の車しか走っていない湾岸エリアをキャスターを何本もふかしながら歩いた、気がする。さすがにこんな成りの男ひとりには居酒屋のキャッチも目もくれない。そして、とにかく迷って、そもそも歩きでスタスタすることを想定されていない湾岸開発エリアなもんだから、とにかく迷って、何とか県庁とか知ってるあたりまでたどり着いた。
 山下公園。僕は山下公園が好きではない。そんな何十回も来たりしてないから、そういう経験に裏打ちされた好き嫌いではなく、何となく、その形状や位置やその他もろもろがしっくりこないというだけであるが。お前が公園ならおれの地元の公園は樹海か何かだよ。
 山下公園には、女神の石膏像みたいな、そういう像が建ってる噴水があり、その回りはドーナツ型のちょっとした広場になっていて、点々とベンチがある。ここでいいや、と僕は腰を落ち着け、ワンカップ大関を開ける。ビチッとそこらにこぼす。つらい。煙草を吸いたくなったが、ここって吸っていいのか?という気持ちと、そこらじゅうで大事な夜を寛いでいるカップルさんたちに不快な思いをさせるのが躊躇われて、煙草は吸わない。暑くも寒くもない夜だった。くだらなかった。
 ワンカップを半分くらいでもういいやっつってベンチの端に追いやり、このまま夜が明けたとして、それからどうなるのだろうと思った。どうなるのだろうは、どうにもならないんだろうな、に変わっていった。それはとても強烈な感情だった。これは、たぶん、公園や高架下なんかで夜を明かそうとした人にしか、この国では気づくことはないのだろうな。
 だんだん、公園のベンチで夜を明かす、ということに飽きてきていた。その飽きは、ベンチに座りながら眠る、もしくは太陽が出てくるのを待つことに対する嫌悪感になり、太陽なんてそもそも見たくないのにな、となり、僕はまた歩きだした。カプセルホテルなんかを探そうと思った。

 カプセルホテルではないけれど、安そうなビル型ホテルの入口を見つけ、入った。エレベーターで受付階まで上がり、ロビーは木目調の床と薄橙の照明のなかにあった。ぱっと見た感じなかなか清潔で、バスタオルなんかも奇麗に畳まれてラックに重ねてあるし、部屋着にクロックスもどきという出で立ちが急に恥ずかしくなって若干赤面した。
 奥から女の人が出てきて、一泊したいという旨を伝えた。そこで気づいたのだが、壁の標示やカウンターのものとかが、ちょっと何か、違う感じがする。予約の有無を確認する女の声で、ああ、これ中華系の、そういう資本のホテルだ、と合点がいった。すぐそばには中華街の入口があるし、何より女の声のイントネーションにあの特有の不和感が混じっていた。
 隣りではあとからエレベーターで上がってきた男女がスマホの画面を見せていて、何千円かを支払っていた。僕のほうはというと、何やら女の人がカウンターの下から何かを取りだし、それは電卓だったのだけれど、そこに、「10,000」と打ち込んで見せてきた。これでどうでしょう、というわけだ。駆け込みの客って、こうやって宿泊料金が決められるのか、僕が部屋着にクロックスもどきに変な柄のトートバックだからなのか(クロックスもどきは女からは見えていないが)、よくわからなかったけど、疲れていたし僕はこういうとき別の選択肢を採る、ということができない性格なので、はい、とだけ言った。一万円札を出し、鍵を渡され、エレベーターに乗った。
 部屋はきれいで、なんかいろいろな機能や趣向がこらされていたが、憶えていない。とりあえずシャワーを浴びて、なんとなくスマホの電源を入れて消し(この一瞬だけ通信会社に補足されたことを母は警察から聞いたらしい、ほんとうにこわい)、テレビをつけた。画面は、つけてから三秒くらいだけ僕に安心感を与え、それから、ほんとうに、ほんとうにくだらないただの光の明滅に成り果てた。消した。スマホもいじることができず、所持品も財布と煙草だけで、何もすることがなく、朝昼夜という一日の時間の概念がとてつもなく白々しいものに感じられてどうしようもなくなった。え、何?これ、何?つってずっと自問しつづけていた。それしかすることがなく、それしか許されていなかった。これはほんとうにきつい。
 あった。本があった。『螢・納屋を焼く・その他の短編』が! それは僕の大好きな短編集で、ふかふかのベッドに横になって、てきとうにページを開いた。
「納屋を焼く」の、主人公と主人公が日常的に寝ている女の恋人が、マリファナを吸っている場面だった。違和感。いつもなら、てきとうに開いて文字を追っているだけでいくぶん楽しいのに、まったく楽しくない、というかつらくなってきている。文章が頭に入ってこない、夜と朝ってなんだ???、マリファナを吸っている、それでこれからどうなるんだ?????、マリファナマリファナ………………
 たぶんジサツっていうのは、この先にもあるのだと、そうぼんやりとした頭で思っていたら、いつの間にか電気をつけっぱなしにしたまま寝ていた。

 朝は来ていたし、なんならもう昼だった。チェック・アウト。さよなら中華資本。
 中華街の脇道に沿って、駅に歩いた。駅でちゃんとしたポロシャツとチノパンを買って、トイレで着替えた。チノパンのウエストがゆるゆるで、たびたび引っ掴んで腰まで上げた。地元の駅までJR線に揺られた。ネットカフェに入り、賃貸物件を探すのが馬鹿らしくなってきて、FANZAのアカウントにログインしてオナニーして、喫煙所で煙草を吸った。暑い日だった。
 夕方、家に帰ると、母にいろいろ言われ、いろいろ言い、言い合いをした人は死んだように自室で眠っていた。いろいろ謝ったりして、上の空の声が返って来たりして、リビングで母に大学辞めます、ひとり暮らしをさせてください、とフローリングに膝をついて申し出た。
 今、僕は大学に通っていて、5畳一間の部屋の本棚には、『螢・納屋を焼く・その他の短編』が文庫本二冊と単行本一冊の三冊がある。

 家に帰ったのは、お薬を欠かさず飲まなきゃいけないという恐れと、両目の見えない犬の散歩ができるのが僕しかいない、という理由だった。お薬はいまでも同じものを飲んでいて、犬はその秋にリビングで家族みんなに見守られながら息を引き取った。